フッチーノ導入物語

安田支配人、軽量強化磁器との出会い

2005年初冬のある日、一件の電話がかかってくる。

渕野
▲ニューオータニ佐賀

佐賀県の西部に位置する有田町は、言わずと知れた日本の伝統工芸品、有田焼の産地だ。その焼き物の里で陶磁器商社を営む株式会社山忠に、2005年初冬のある日、一件の電話がかかってくる。「ニューオータニ佐賀の安井と申します。この記事のことを詳しく知りたいのですが…。」

ニューオータニ佐賀とは特に付き合いもなかったという山忠 山本幸三社長のもとへの、突然の電話だった。

この記事との出会いが、全ての始まりだった。

新聞記事
▲新聞記事

ニューオータニ佐賀の安井昭支配人はある日、軽くて強い、有田焼で作られた新開発の和食器に関する新聞記事を読む。佐賀県窯業技術センターと、有田焼業者8団体が共同開発した新素材「軽量強化磁器fuccino」(フッチーノ)を山忠が商品化、JAL国際線の食器として23万個を受注した、というニュースだ。ちょうど支配人の所へ、中華部門からどんぶりの発注が来ていた折の出来事だった。「有田焼でこんな食器があるのか…。」この記事との出会いが、全ての始まりだった。

「フッチーノで大きい洋皿はできますか?」

「佐賀のニューオータニさんからの注文だというのは、今後のセールストークにもなるぞ!」山本社長は早速、フッチーノで作る中華用どんぶりのオーダーを受ける。数は50個程度と多くはなかったが、軽量強化磁器の窓口を少しでも増やしたいという想いが、一気に行動へと移させた。どんぶりなら2、3ヶ月で難なく納めることができるだろう。

そんなある日「フッチーノで大きい洋皿はできますか?」と支配人から質問された。「実は今までも有田で軽い洋皿を作ってみようとやってきたんですが…、これがなかなか成功しないんですよ。」

フッチーノの可能性を試す時が来た

新聞記事
▲山本社長

今から31年前、ホテルオープン当事を安井支配人は思い出す。「ニューオータニに来た時は、焼き物の里なら当然、有田とか唐津(からつ)焼(やき)を使っているのかと期待してたんですがね、実際は全くそうじゃなかった。そのことに少し抵抗がありました。」地元で業務用の、軽い洋食器は作れないものか。付き合いのある業者に聞いても、地元の窯(かま)で洋食器を作るのはそう簡単ではないらしい。安井支配人は地場産業と関わってみたいという想いもあり、これまでも方々回って軽い洋皿≠フ試作をさせていたのだ。

「できるかどうかわからないが、ぜひチャレンジしてみましょう!」山本社長は快く答えた。軽量強化磁器、フッチーノの可能性を試す時が来たのだ。

四苦八苦の生地成形

長い長い奮闘記のはじまり

失敗と苦労の後
▲失敗と苦労の後

さっそく試験的に作った1枚は、一週間であっという間に出来上がった。安井支配人の想いが現実となる、そんな瞬間が今すぐ、やって来るかのように思えた。

「これがまた1回目がパッと出来たんですよ。おおっこれは意外に簡単だって思いましたね。だけどそっからが長かった。本当に長かった。1年近くかかった。」山本社長は当時の度重なる失敗と苦労を思い出して、苦笑いする。長い長い奮闘記のはじまりだった…。

作ってはみるがなかなか上手くいかない…

渕野陶土工場内
▲渕野陶土工場内

まずは料理を盛りつけるための中央部分をフラットにさせる、という生地成形でつまづいた。生地成形には機械によるさまざまな数値の設定が必要だが、それを今までの経験値でやってみても通用しなかった。フッチーノという新しい素材の難しさもあったが、そもそも洋陶メーカーと有田の窯元では、生産設備そのものが違う。経験したことのない難しさが立ちはだかった。

それぞれの機械の回転数をいくつにするのか、時間は、温度は、どこが最適なのか。変数が多ければ多いほど、わけがわからなくなって行った。こっちが良くなればあっちが悪くなる。妥協点が見つからない。作ってはみるがなかなか上手くいかない…。山本社長をはじめフッチーノの開発を手がけた渕野氏も、頭を悩ませた。この時点でもう100枚以上の試作品をつくっている。時間だけが過ぎて行く。答えは出ない…。これ以上はもうお手上げだ。

ようやく見つけ出した

佐賀県窯業技術センター
▲佐賀県窯業技術センター

生地成形の試行錯誤に2ヶ月を費やしたのち、 いよいよ佐賀県窯業技術センターに相談することとなった。特別研究員の蒲地氏の指導のもと、270枚もの生地を作り、変数を総合的に見るという試験が始まった。それぞれの変形率のデータを全部取って、どの変数が良いのか全てを検討。そうして結果的にベストな成形の方向性をようやく見つけ出した。ここまで来るのに、とうとう半年もかかってしまった。

窓口 松本常務の焦り

支配人の願いを叶えなくては

生地成形に苦労していたその間、ニューオータニへ試作品と共に何度も足を運ぶ、山忠の常務 松本の姿があった。ニューオータニ側と直接対応するだけに、誰よりも緊張感を持っていたのは松本常務だ。

山忠 松本常務
▲山忠 松本常務

今までの皿は相当の重量がある。それをテーブルに10枚ずつもって行くのだから、ハッキリ言って女性にはキツイ。腱(けん)鞘炎(しょうえん)になる人もいる。かといって小分けにして、ひとつのテーブルに何度も運ぶという手間もかけたくない。そういった現場の従業員の声も大きく、彼らのためにもぜひ軽量化された皿をという支配人の願いを、松本常務は何とか叶えなくてはと思っていた。

期待を裏切りたくない

ホテルニューオータニ佐賀ラウンジ
▲ホテルニューオータニ佐賀ラウンジ

最初の試作品ができた時、その場に居合わせた食器係とホール係の若者の声も、松本常務は忘れることができなかった。「こんなものができたぞ」「おおっ!」「支配人、これ早く買ってくださいよ!」彼らのその声を聞いて、支配人もその気になったのだ。期待を裏切りたくない。しかし、一向に制作は進まない。しまいには「新しいもの作るとヒマかかるもんなぁ、最初は大変だもんなぁ…。」と安井支配人になだめられる始末だ。

間に合わなかったらもう、キャンセルするしかない

そんな折、平成18年10月29日第26回佐賀県全国豊かな海づくり大会に出席のため、天皇陛下がニューオータニ佐賀にお見えになるという。「それに間に合わせてくれ。間に合わなかったらもう、キャンセルするしかないなぁ。」松本常務もこれを聞いて腹をくくった。注文を受けてからすでに、半年以上が過ぎた頃だった。

待ちに待った完成、そして喜び

注文を受けてから約1年

30cmショープレート
▲30cmショープレート

ようやく完璧な試作品が完成したのは、生地成形の問題をクリアして注文から7ヶ月が過ぎた頃だった。絵付けに関しては、安井支配人も一肌脱いだ。洋食の総料理長を経験していたため、食器のデザインには精通していたのだ。佐賀県の鳥カチガラスが楠(くすのき)にとまっているという絵柄の発案者は、安井支配人だ。

注文を受けてから約1年。こうしてようやく待望の、軽くて強い、有田焼の30cmショープレートが完成した。300枚納品するのに700枚は作り、歩留まりも厳しかった。今までの皿より1枚で200g軽い。5枚持てば1kgの減量だ。今ではもう皆、その重量にすっかり慣れてしまった。品質も問題なく、チップ強度に関してもその後破損の報告はないという。

物凄く苦労した分、こちらも嬉しかった

山本社長
▲山本社長

「こんなに軽くなって、ほんとうに助かります。今までのものはもう使えませんよ。」従業員からの言葉を聞き、山本社長の心は喜びにあふれた。「物凄く苦労した分、こちらも嬉しかった。良かったって言ってもらえたのが本当に何よりですよ。」

いずれはコーヒーカップも欲しい

安田支配人
▲安井支配人

当初品質の心配をしていた安井支配人も、有田の和食器の技術でここまでの洋皿が作れたことに、大変満足している。「納品まで1年近く、時間はかかったけど山忠さんの対応は充分でしたよ。」地元の産業と関わって行きたい…という安井支配人の長年の想いもかなった。

有田焼で業務用の軽い洋食器を作る。これは全く新たな挑戦だった。今後このラインがパイオニアとしてもっと世に出て行けばいいと、支配人は願う。

「次に作るのは27cmのディナープレート。いずれはコーヒーカップも欲しいとのこと。「これがまた難しいんですけどね。」まだまだやる事はあるのだと、安井支配人は笑った。

(ライター 土井綾) 

フッチーノの開発秘話は、コチラ

関連サイト: 焼物WIKI - (株)山忠 - 有田焼の窯吉

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